海外に行っても迷わない!ルーツをひも解けば分かる世界各国のお茶の呼び方


中国で生まれ、世界各地に広まった「茶」。日本を含めたアジア圏では、「チャ」もしくは「チャイ」などと呼ばれ、Cから始まる発音が基本です。一方、欧米では「Tea」となり、「ティー」「テ」と発音する地域がほとんど。ルーツが同じでも、どうして呼び方が2つの系統に分かれているのでしょうか。茶に関する長い歴史をひも解くと、ある一つの理由が浮かび上がってきます。

遣唐使から始まった日本の茶

茶のルーツは、中国にあります。原産は雲南省。時代は紀元前2700年頃とされるのが一般的です。もともとは薬として重用され、上流階級層の間で広まりました。日本に伝わったのは、飛鳥時代(592年~710年)で、遣唐使が持ち帰ったのが始まりとされています。もちろん日本でも、最初は貴族たちだけが手にできる貴重品でした。ただ、日本でも最初はなかなか広まらず、本格的に普及したのは平安時代です。とは言え、平安時代は794年に始まって、鎌倉幕府が成立するまでの400年間もあるので、一概にいつ・どのように広まったのかは諸説あります。また、庶民の間で本格的に飲まれるようになったのは、さらに時代が進んで江戸時代です。この時代には現代と同じように煎茶が出回り、従来の中国式の製法ではなく、より香りや風味を楽しめる宇治製法が広まっていきました。これが、今も続く日本茶のルーツとされています。

紅茶文化のルーツは中国との貿易権を独占した東インド会社

一方、ヨーロッパなどの西欧に、中国から茶が広まったのは、16世紀半ば。中世になってからですから、ずいぶんと遅かったようです。西欧は、貿易先や植民地を求める大航海時代を迎えていました。中でも、高い航海技術を持っていたポルトガルやオランダが、アジア地域を開拓していきました。茶に目を付けたのは、オランダの東インド会社。その頃のオランダは、東洋貿易を独占する立場にあり、ヨーロッパの国が茶を輸入するには、必ずオランダを通さなければいけませんでした。そうした環境に不満を抱いていたのが、東インド会社を共同経営するイギリスです。オランダとイギリスによるいくつかの争いを経て、やがてイギリスが中国から茶を直接輸入する権利を手にします。茶の独占輸入権を手にしたイギリスには、半発酵した茶葉が多く流通するようになり、それが紅茶文化を形成するルーツになったと考えられます。

陸路で広がったチャ、海路で広まったティー

ここで、世界に茶が広まった2つのルートが形成されます。1つが、日本を含めて中国周辺の国々に陸路で広まったルーツ。他方が、イギリスを中心に海路で広まったルーツです。陸路で広まった国々では、原産国である中国同様に「CHA」と発音するグループが誕生しました。

【発音がCHAに近い国】

・日本:チャ

・インド:チャ

・チベット:チャ

・ロシア:チャイ

・モンゴル:ツァイ

一方、イギリスのように「TEA」で発音するグループは、ヨーロッパなどの西欧諸国が中心です。

【発音がTEAに近い国】

・オランダ:テ

・フランス:テ

・イタリア:テ

・スペイン:テ

・ドイツ:テ

簡単に言えば、陸路で伝わった国では「CHA」、海路で伝わった国では「TEA」と呼ぶことになると覚えておけば間違いないでしょう。

ヨーロッパでもポルトガルだけは例外

ただし、ポルトガルだけは例外で、ヨーロッパの国でありながら「チャ」と発音します。その理由は、上記でも触れたように、中世における貿易の先進国がポルトガルだったからです。江戸時代の日本にとってポルトガルはオランダと並ぶ貿易国で、古くから日本文化が伝わっていました。その歴史は、ヨーロッパに茶が伝わるより古く、日本で形成された日本茶文化がポルトガルにいち早くから伝わった影響で、今でも「チャ」と発音すると言われています。海路で茶が伝達した国の中でも、ポルトガルだけは例外と覚えておきましょう。

ある意味で日本も例外

陸路で伝わったのが「CHA」、海路で伝わったのが「TEA」ですが、ポルトガルと同様に日本も例外と言えるでしょう。日本は「CHA」グループですが、陸路ではなく海路で伝わったからです。その日本から伝わったのがポルトガルのチャ文化ですから、不思議な感じがします。複雑で奥深い世界の茶のルーツに思いを巡らせながら、ぜひお茶を楽しんでみてください。